こんにちは、アニキです!
今回の『俺~』シリーズは『俺と1960年代』と題し、ジャニス・ジョプリンが活躍した激動の1960年代の世相やカルチャーについて、書かせて頂きます!

半世紀以上前の時代

1960年代・・・。

半世紀以上前の時代なので、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』みたいにタイムマシンに乗って過去に戻らないと、若い方々はどんな時代だったか想像すら出来ないかも知れませんね。

今回のブログでは、ジャニス・ジョプリンが活躍した激動の1960年代がどんな時代だったかについて、タイムスリップした感じでご紹介させて頂きますッ!

1960年代の日本

現在、「開催するorしない」で話題になっている東京オリンピック。
皆さんは、2021年の東京オリンピックが開催された場合、2度目の東京オリンピックって知ってますか?

若い方々の中には、「えっ!?」と思う人もいるはず。
1度目の東京オリンピックが開催されたのは、半世紀以上前の1964年だから仕方ないですよね。

この東京オリンピック開催をきっかけに、インフラ整備が急ピッチに進められ、日本社会が大きな変化を遂げたのが1960年代だった。

新幹線が開通し、首都圏には高速道路が整備され、人々の動きが一気に加速した。
郊外には数多くの団地が建設され、テレビ・洗濯機・冷蔵庫などの家電が一般家庭に普及し、日本が物凄いスピードで豊かになっていったのが1960年代だった。

そういう意味で日本にとってターニングポイントとなった年代だったと思う。

ジャニス・ジョプリンが生きた1960年代のアメリカ

1960年代のアメリカの車

ジャニス・ジョプリンが生きた1960年代のアメリカはどうだったのか?

アメリカは日本と違って世界でも有数の経済大国になっていて、世界中の人々が羨む富裕国となっていた。

当時の日本人はアメリカ映画を観て、「アメリカはこんなに裕福で贅沢な暮らしをしているのか」と驚いた人も多かったはず。大きな庭付き一戸建てに住み、見た事もないような家電に囲まれて、美味しそうな食事を楽しんでいる・・・そんなセレブな生活を送っていたのだ。

その一方で、1960年代はアメリカにとって黒人差別廃止運動やベトナム戦争の泥沼化など、血とバイオレンスにまみれた、まさに‟激動の時代”でもあった。

1960年にジョン・F・ケネディが大統領に就任。
アメリカ国民は若干43歳の若い大統領に希望を託し、大熱狂した。
これ程までに国民に熱狂的に迎えられ、支持された大統領がいただだろうか。

そして1963年には「私には夢がある(I have dream)」の有名な演説を行った、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が公民権運動を指導し、黒人差別廃止運動の先頭に立ち、多くの差別された人々の‟希望”となった。

そのような新しい時代への転換期の中、1963年にジョン・F・ケネディ大統領が、1968年には‟マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が相次いで暗殺される。
それによって、アメリカの新しい社会への扉が閉ざされてしまったと思う。

多くのアメリカ国民が疑心暗鬼となり、白人と黒人の対立が激化。
それに追い打ちをかけるようにベトナム戦争が泥沼化して混乱の時代を迎えることとなる。

その混乱の中に颯爽と登場したのが、ジョン・F・ケネディの実弟、ロバート・ケネディだった。
彼は白人と黒人の融和を打ち出し、ベトナム戦争からの即時撤退を主張した。
おそらく‟アメリカ最後の希望”だったに違いない。

そのロバート・ケネディもまた凶弾に倒れてしまう。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が暗殺されてから僅か2ヶ月後のことだった。
しかも兄のジョン・F・ケネディと同じように公衆の面前で暗殺されたのだ。

テレビのドキュメンタリー番組で、ケネディ兄弟の暗殺シーンを見た事があるが、そこに映し出されていたのは狂気の沙汰としか言いようのない光景だった。

1960年代のアメリカは血で血を洗う‟混乱と暗黒の時代”だったと思う。

ジャニス・ジョプリンは人生で最も多感な17歳~27歳を過ごしたのが1960年代。
混乱とバイオレンス渦巻く1960年代は、ジャニス・ジョプリンの目にどのように映っていたのだろう?

反戦運動・・・「LOVE」&「PEACE」・・・そして「FREEDOM」

©Jason Niedle

時代を激変させる出来事が次々と起きた1960年代のアメリカは、人々が精神世界を大事にして、自分自身を表現することを選んだ時代でもあった。

その最たるものが、「愛」と「平和」、そして「自由」を強調したヒッピー文化だろう。
ベトナム戦争の泥沼から反戦運動の機運が高まると同時に、アメリカの既成社会の制度を否定し、性の解放やドラッグの解禁など精神世界を重んじ、多様な価値を尊重する社会へと変わっていった。

ヒッピーと呼ばれる人々はファッションも自由で、髪型が男女とも長髪、裾が大きく広がったベルボトムのデニムを着るなど、それまでのファッションとは全く違うものとなっていた。

そういう時代の空気とともに誕生したのがカウンター・カルチャーとしてのロック、そして野外フェスだった。

そして1969年にカウンター・カルチャーの象徴といわれる伝説の野外ロックフェスティバルが開催される。

それが、ウッドストック・フェスティバルだ。
全米から愛と平和、反戦を主張するヒッピーや若者ら約40万人が集った歴史的なイベントとなった。ジミ・ヘンドリックスら数多くのアーティストが参加し、その中にジャニス・ジョプリンもいた。

ジャニス・ジョプリンは大観衆の前で熱唱し、多くの聴衆を熱狂させた。
激動の1960年代を締めくくる1969年に開催されたウッドストック・フェスティバルに参加したジャニスは、何を考え、何を伝えたかったのか。

それは誰にも分からないが、ジャニスがウッドストック・フェスティバルで熱唱したCDが発売されているので、ご興味のある人は是非聴いてみて下さい!

『ジャニス・ジョプリン』の上映劇場はこちら!