カバー画像『ジャニス・ジョプリン』より ※日本初公開写真 ©Jason Niedle
松竹ブロードウェイシネマ新人女子部員ブログ『マイブロードウェイ』。洋楽・ミュージカル映画好きなアラサー女子がミュージカルについて気ままにおしゃべり。歌やダンス、演技や衣装などなど…心躍るミュージカルの世界に没頭していきます。
鮮烈で高揚感のある名曲は、映画の中でも確固たる存在感を放つ
アメリカ・アイオワ州にある田舎町のバー。そこで働く若い女性アリは、誰もいない店内で突如独り歌い出す。
マイクもない、観客もいない。そこに居るのは自分だけ。
エプロン姿ではあるものの、彼女が歌う姿には色気と力強さがあり「この女性は紛れもなくダイヤの原石であり、田舎町に留まることを知らない。彼女のスターへの挑戦がはじまる」ということが瞬時にわかる。
このとき彼女は、その後ロサンゼルスのラウンジ バーレスクでトップスターになるとはまだ知る由もなかった──。
過去のブログ で、ミュージカルや音楽にまつわる映画作品をいくつかご紹介させていただきましたが、そのうちのひとつ「バーレスク」(2010)のはじまりのシーンです。
「バーレスク」(2010)は本当に大好きな作品で、映画はもちろんですが、サウンドトラックもリピートして聴いてしまうくらいお気に入りです!アリを演じるアギレラの歌唱力はもちろん、ゴージャスでセクシーな世界観に心底惚れています。
この作品を観たことがある方はすぐにわかると思いますが、先ほどのはじまりのシーンは本当に圧巻で、1人の女性の物語がはじまる宣言のようにも感じられます。
ここでアギレラが歌っている鮮烈でキャッチーな楽曲は「Something's Got A Hold On Me」という曲で、アメリカのブルースシンガー エタ・ジェイムス(1938-2012)のヒットソングのひとつです。
恋をすることによって“良い予感がする” “新鮮な気持ち”といった意味が込められたこの曲は、まさに映画のスタートを飾るにふさわしく、観客の高揚感を高めてくれます。
エタ・ジェイムスは、ジャニス・ジョプリンと共に激動の1960〜70年代を生きた歌手であり、数多くの名曲をリリースし、晩年は病気と闘いながらも生涯現役を貫いた伝説的シンガーです!
2008年公開の映画「キャデラック・レコード 音楽でアメリカを変えた人々の物語」にて、ビヨンセが彼女の役を演じたことでも話題になりましたよね。作品を通じて知っている、という方も多いと思います。
そんな彼女は、ジャニス・ジョプリンが大いに影響を受けた歌手の一人であり、互いに刺激し合う仲でもありました。今夏公開されるミュージカル・ショー『ジャニス・ジョプリン』にも登場し、大活躍しています。
そこで今回は、彼女がいかに素晴らしい歌手だったのか、注目していきたいと思います!
生涯ブルースに捧げた不滅のソウル
エタ・ジェイムスは、1938年カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ。教会に通い、ゴスペル合唱団に所属し、日頃より歌うことに接しながら幼少期を過ごしました。
12歳になると、母親と共にサンフランシスコへ移住し、ボーカルグループを結成。次第にソウルやブルース、R&Bなどさまざまなジャンルの音楽に携わるようになります。
14歳になった頃、“R&B界のゴッド・ファーザー”と呼ばれた男 ジョニー・オーティスに実力が認められ、その後ロックンロールの歴史に多大なる影響をもたらした伝説のレコード・レーベル モダン・レコードと契約します。
そこでエタ・ジェイムスは看板歌手となり、数多くのヒット曲を生み出し、R&Bチャートはもちろん、音楽業界でその名を轟かせていきます。
完璧なキャリアを築いていくと思えた彼女の人生。しかし、1960年代頃から薬物やアルコール中毒になり、刑務所や病院で過ごすことに…。
壮絶な時期こそあったものの、無事に薬物から克服し、治療を受けながら名アルバム「Tell Mama」を完成させ、次第に音楽活動の場を取り戻していきます。
そして、1994年にはアルバム「Mystery Lady」がグラミー賞のベスト・ジャズ・ボーカル賞を受賞。2003年・2004年にはブルース部門を受賞し、以降数々のミュージックアワードを総なめにしていきます。
前述した映画の公開もあり再び脚光を集めますが、この頃彼女は体重にも悩まされていました。手術を受け減量に成功しますが、その後複数の病気を患い、闘病しながらの音楽活動となりました。
そして彼女は、75歳の誕生日を目前に生涯に幕を閉じます。死因は白血病の合併症。2012年のことでした。
エタ・ジェイムスのすごいところは、なんと言っても50年にも及ぶそのキャリアです。幼い頃は暴力を振るわれたり、華々しいデビューを飾るも薬物中毒に陥ったり、壮絶な人生を歩んできました。
報われない恋に溺れたり、レコード会社を転々としたり、手術や度重なる闘病生活など、まさに波乱万丈。脚光の裏側にある彼女の心は、ボロボロになっていたはずです。
しかし、どんなに苦難に遭遇しても、エタ・ジェイムスは決して歌うことだけはやめませんでした。
彼女にとってブルースとは人生そのもの。美しくも痺れるような彼女の歌声の根底には、ジェットコースターのような人生が秘められているに違いありません。
生涯を捧げたブルースは、単なる悲しみや哀愁だけでは語りきれません。そのブルースは、失ったものがあるからこそ表現できる、まさしく彼女の命(=ソウル)が色濃く滲み出ているのです。
それこそ映画「キャデラック・レコード」(2008)にて、チェス・レコードの創設者レナード・チェスが、悲嘆に暮れるエタ・ジェイムスに放つ台詞がまさにそのソウルを生み出したような気がしたのでここで引用します。
悲しみに自分を乗っ取られるな
マディはそれを歌に託して心から追い出す
リトルは常に持ち歩き、酒と麻薬に食わしてる映画「キャデラック・レコード」(2008)より
激動の1950〜60年代の音楽シーンを変えたチェス・レコードの実話が元になった本作も、とても素晴らしい作品なので気になる方はぜひ観てみてくださいね(ビヨンセが製作総指揮です!)
彼女は“音楽そのもの”となり生き続けている
エタ・ジェイムスのスタイルは、数々の歌手に多大なる影響を与えました。
彼女のお葬式では、スティービー・ワンダー、アギレラが彼女の名曲を熱唱。その他にもビヨンセ、マライア・キャリー、アデルなどが追悼の意を表していました。
映画で役を務めたビヨンセは、オフィシャルサイトにて当時このようにコメントしていました。
「これは大きな損失です。エタ・ジェイムズはわたしたちの時代における最も偉大なヴォーカリストのひとりでした。こんな女王のような人と会えることができたことは幸福だったと思います。エタの音楽的な貢献はいつまでも生き続けることでしょう」
ビヨンセはエタ・ジェイムスの死を深く悲しみながらも、エタの音楽は今後も生き続けるとコメントしている点。彼女の功績を讃えながらも、ビヨンセ自身がエタ・ジェイムスの魂(ソウル)を受け継いだと言っているようにも感じられるのは、きっと私だけではないはずです。
ちなみに、ビヨンセが映画で歌うエタ・ジェイムスの名曲「All I Could Do Was Cry」「I'd Rather Go Blind」は鳥肌モノですよ…。
そんなエタ・ジェイムスのスピリットは、ジャニス・ジョプリン(1943-1970)にも受け継がれています。
ジャニス・ジョプリンは、エタ・ジェイムスのブルースに刺激を受けながら、自身のロックスタイルを確立させました。カバーした名曲「テル・ママ」は、全く違う曲に聴こえるくらいです。
デビュー当時、ジャニス・ジョプリンはエタ・ジェイムスに強く憧れていたようです。エタ・ジェイムスのスタイルは、ジャニス・ジョプリンにとって目指すべきもののひとつであり、同じ視界からブルースを叫びたかったのでは、と私思います。
彼女のブルースに惚れながらも、独自性を貫き努力した結果、唯一無二のスタイルが確立されたのではないでしょうか。
この「テル・ママ」は、2021年7月2日(金)より全国順次公開の『ジャニス・ジョプリン』でも披露されています!
メアリー・ブリジット・デイヴィス演じるジャニス・ジョプリンと、タウニー・ドリー演じるエタ・ジェイムスの掛け合いがたまらなく、時代を越えて二人のステージが蘇るのも感慨深いところです。
ぜひ劇場でほとばしるふたりのブルースをご覧ください!
ジャニス・ジョプリン
2021年7月2日(金)より全国順次公開!
ストーリー
元祖・音楽フェスティバルの女王にして伝説のロック・スター、ジャニス・ジョプリン。数々の名曲をジャニスが熱唱し、彼女が音楽的にも影響を受けたアレサ・フランクリン、エタ・ジェイムス、オデッタ、ニーナ・シモン、ベッシー・スミスと共に感動のステージを披露する。「孤独」と生涯戦ったジャニス・ジョプリン。そんな中、ジャニスが自らの物語を語り始める。
ではまた次回お会いしましょう!