今回の『俺~』シリーズは、『俺とニーナ・シモン』と題し、卓越したシンガーとして人気を博したニーナ・シモンの魅力について書かせて頂きます!
カバー画像:『ジャニス・ジョプリン』より ※日本初公開写真 ©Jason Niedle
緊急事態宣言延長
5月もまもなく終わり。
なのに緊急事態宣言が延長になり、2021年前半もコロナで終わりそうな感じがする。
あと2ヶ月で東京オリンピック開催が迫っているのにどうなるんだろう。
オリンピックを開催するのか、しないのか、まだ分からないけど、全く先が読めない状況でオリンピックが行われるのは史上初だろうね。
オリンピックの為に人生を賭けてきた選手の気持ちを思うと何とも言えない気持ちになってしまうけど。
とは言え、オリンピックが開催されたら、コロナに感染しないように気を付けた上で、全力で日本人選手を応援しましょう!
まー、今回も世間話はこのくらいにして、本題に入ります(笑)!
今回のアニキ・ブログは、卓越したシンガーだったニーナ・シモンの魅力とその生涯について紹介させて頂きます!
卓越したシンガーであり、公民権運動家だったニーナ・シモン
ニーナ・シモン・・・なんとも響きが良く、お洒落な名前なんだろう。
そう思うのは、アニキだけでしょうか(笑)。
ニーナ・シモンは、ジャズ、フォーク、ブルース、R&B、ゴスペルなど様々なジャンルの曲を歌いこなし、「ロックの殿堂」入りを果たしたシンガーであり、人種差別と闘った公民権活動家でもあった。
彼女もまたジャニス・ジョプリン同様、1960年代の激動のアメリカを必死に生き抜いたシンガーの一人だった。
ジャニス・ジョプリンの人生については、こちらをご覧下さい☟
ニーナ・シモンという名前の由来
さっき少し触れましたが、ニーナ・シモンってお洒落な名前ですよね。
実は、ニーナ・シモンは本名ではなく芸名。
ニーナ・シモンは尊敬するフランスの女優、シモーヌ・シニョレに因んで付けられたそうだ。
シモーヌ・シニョレは、1959年の『年上の女』でアカデミー主演女優賞と、カンヌ国際映画祭女優賞をダブル受賞した女優。フランスの大スター、イヴ・モンタンの妻として知っている方も多いだろう。
シモーヌ・シニョレは女優業だけでなく、フランス共産党党員として多くのデモや活動に参加し、社会問題に関心の深い一面があったことでも知られている。
ニーナ・シモンはそのような社会問題に取り組むシモーヌ・シニョレを尊敬していたのかもしれない。
才能に溢れていたニーナ・シモンに立ちはだかる人種差別の壁
ニーナ・シモンは若かりし頃、クラシック音楽の学校で世界的に有名なジュリアーノ音楽院でレッスンを受けていた。
ジュリアーノ音楽院でレッスンを受けていたのだから、物凄い才能に溢れていたのだろう。
その後、有名な音楽学校であるカーティス音楽学校への進学を希望するが、入学することは出来なかった。
才能があったのに、なぜ入学できなかったのか?
ニーナ・シモンがカーティス音楽学校を受けたのは、1950年代前半のアメリカ。
まだまだ黒人への人種差別があからさまにあった時代だった。
だから、才能があり優秀であっても、黒人というだけで入学できなかったのだ。
このような経験がニーナに影響を及ぼし、彼女のバックボーンが形成され、その後のニーナ・シモンの人生を決めたと言えるだろう。
一つのジャンルに収まらないスケールの大きいシンガー
ニーナ・シモンと言えば、ピアノを弾きながら歌う姿が目に浮かぶ方も多いだろう。
ニーナはもともとピアニストだったから当然なのだが、ピアノを弾きながら、強烈な声で歌う姿はニーナの独壇場と言える。
曲もさることながら、ニーナの歌唱力は聴くものを圧倒する凄さがあった。
その中でも特にニーナの声は最大の魅力だ。
皆さんも聴いて頂けば分かると思いますが、ニーナ・シモンの声は独特で、一度耳にすれば忘れられない声だと思うはず。
その独特な声と圧倒的な歌唱力を武器に、ジャスだけでなく、ポップス、ソウルミュージック、R&B、フォークとあらゆるジャンルの曲を歌いこなすスケールの大きいシンガーへと成長し、スーパースターの地位を確立したのだ。
あらゆるジャンルの曲を歌いこなす唯一無二のシンガーという点において、ブログでも紹介したアレサ・フランクリンに似ていると思う☟
人種差別に立ち向かった闘いの人生
ニーナは歌手として1960年代に絶頂期を迎える。
だが、その絶頂期に歌手人生の転機が訪れる。
ニーナは、1960年代の人種差別撤廃運動に共鳴し、マーティン・ルーサー・キング・Jr.を中心とする黒人公民権運動、さらにより過激なマルコムXやストークリー・カーマイケルらの運動に傾倒していくのである。
それによりメインストリームである音楽シーンにおいて彼女は存在感を失っていくのだった。
黒人であり、女性ミュージシャンであるニーナの政治的なメッセージが、音楽業界において忌避されるようになったのだ。
それが、1960年代のアメリカの音楽業界であり、アメリカ社会の現実だった。
だが音楽業界で自分の居場所を失っても、彼女は怯むことはなかった。
ニーナは、人種差別に対してすさまじい怒りを持ち、自分の為だけでなく、人種差別を受けている全ての人の為に闘う事を選ぶ。
ニーナ・シモンが今もなお多くの人々に尊敬され愛されているのは、歌手としての凄さだけでなく、自分に正直に生きることを恐れなかった女性だったからだろう。
本当の自由を求めて
人種差別撤廃運動の先頭に立ったマーティン・ルーサー・キング・Jr牧師が暗殺され、その後も次々と仲間が殺されていく中、ニーナ・シモンはアメリカという国に絶望し、全てを投げ出してアメリカを離れる。
ニーナが移住した国は、アメリカ大陸の黒人が作った国「リベリア」だった。
「リベリア」とは《自由の国》を意味する。
この国の名が象徴しているように、彼女が最後に求めたのは自由だったのだ。
名声を捨て、自分の信念に生きた女性、それがニーナ・シモンだった。
彼女の人生を知った上で、ニーナの歌う曲を聴くと、色々な感情がこみ上げてくるに違いない。
映画『ジャニス・ジョプリン』で、ジャニス・ジョプリンとニーナ・シモンが共演!!
同時代を生き、互いに影響を受けたであろうジャニス・ジョプリンとニーナ・シモン。
その2人が、2021年7月2日(金)に公開する映画 『ジャニス・ジョプリン』で、ジャニス・ジョプリン(役)とニーナ・シモン(役)が夢の共演を果たしてしている。
2人が圧巻のステージパフォーマンスを披露しているのでお見逃しなく!!
ジャニス・ジョプリンの公開劇場はこちら☟
2021年7月2日(金)より公開する『ジャニス・ジョプリン』の上映劇場はこちら!
それでは、またお会いしましょう!