ブロードウェイ版『ロミオとジュリエット』や『シラノ・ド・ベルジュラック』の演出を手掛けた演出家デヴィッド・ルヴォー氏へスペシャルインタビュー!作品に対する想いや制作の裏側など、魅力的なお話をたくさん伺いました。シェイクスピアへの想いとは?作品づくりのインスピレーションの源とは?その他主演を務めたオーランド・ブルームとの関わりや日本に対する考えなどもあわせてお届けします。(取材日:2019年 松竹ブロードウェイシネマスタッフ)
カバー画像:演出家 デヴィッド・ルヴォー ⒸShochiku Broadway Cinema

オーランド・ブルームが秘めていた演劇への想いとは?

── オーランド・ブルームについてですが、一緒に仕事をした時の彼の印象はどうでしたか?

真の努力家です。そして、オーランドはギルドホール演劇学校で勉強した経歴の持ち主ですよね。

── そうですよね。どこかでその経歴を拝見しました。

それにオーランドはずっと舞台俳優になりたかったらしいです。実際に彼が私に話してくれたのですが、ギルドホール校に在籍していた当時は、舞台だけがやりたかったそうです。

当時はカメラを使う映画等はあまり興味がなかったらしく、単に舞台で演じたかったと言っていました。でも後にご存じのとおり映画の仕事も入るようになって、『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズ(2001〜)で一躍有名になりました。

それでも彼の心の奥では、「演劇の練習をしていた頃に戻りたい」とずっと思っていたのです。そのことは彼が最も…。彼は「ライブの劇場作品に再び関わることができてとても嬉しい」と毎日私に言っていました。

画像2: ブロードウェイ版 『ロミオとジュリエット』 ©Carol Rosegg

ブロードウェイ版 『ロミオとジュリエット』

©Carol Rosegg

そして非常に頑張って努力していました。台本の熟読から体力づくりに至るまで、準備にも膨大な時間を費やしており、「しっかりと体力をつけなければ」とも言っていましたよ。

1週間に8公演、舞台の上で飛び回らなければなりませんからね。バルコニーに登ったりバルコニーから飛び降りたり…。とにかくオーランドのひたむきで真面目な姿勢には私も非常に感心しました。

オーランドはさらに、演技や発声に関してもシェイクスピア劇をマスターして、必ずしもシェイクスピアに精通してるとは限らない観客にも分かりやすく伝えたい、と思っていました。彼のファン、特に若いファンは、シェイクスピアの劇を見るために来るというよりも、オーランド・ブルームが出演するから来るという人が多いということが分かっていたからです。

だから、ファンの観客が、高尚な芸術作品を見せられているだけでなく、自分たちにきちんと語りかけてくれていると感じられるようにしたかったのです。私は彼の献身的な姿勢と努力に対して深い尊敬の念を持っています。

── 素晴らしいですね。彼がそこまで頑張り屋な方だとは、知りませんでした。

オーランドは努力家で、とても頑張り屋です。映画の仕事でも同じだと思いますよ。もちろん成功している人たちは皆、人一倍頑張っているというのは間違いありません。努力なくして成功はないですから。

── おっしゃる通りですね。

有名になること、つまり名声は簡単に自然と手に入るものだと思っている人もいるでしょう。でもそれは違います。現実には、努力して手に入れるのです。

“過去と現在が交錯する場所”にインスピレーションを得た

── 今回のブロードウェイ版『ロミオとジュリエット』の基本的なコンセプトは何でしょうか?今回の衣装や舞台装置を見ると現代劇のようにも見えます。これには何か理由がありますか?

はい。まず私が興味を持ったのが、ヴェローナに愛のメッセージを残す壁が今でも存在するという話です。

── それは、今も存在するのですか?

ありますよ。今でもそこに行ってメッセージをしたためた手紙を壁に貼り付けたり、壁にメッセージを書いたりすることができます。ヴェローナの「ジュリエットの家」の壁です。

これを知ってひらめきました。「大昔の古代の壁が、今では現代的な落書きの場になっている。このイメージを切り取って使ったら面白いに違いない」と。元々私は、過去と現在が手を取り合うような場所を探していたのです。

── とても良いコンセプトですね。素晴らしいです。

これが基本的なコンセプトだと思います。それから“壁”というのがまた面白いと思いました。ジュリエットの家の壁は人々が恋愛やその他に関するメッセージを残す場所になりましたが、依然として“壁”であることに変わりありません。

『ロミオとジュリエット』でもこの2人の若者が、壁を倒し、壊し、そして作り…。人々の間に存在する壁は極めて敵対的なものの象徴です。

これを表現するために、落書きで埋め尽くされた壁の一部をシンプルにイメージ化して使いました。この壁はかつてはとても美しいものの象徴でしたが、時とともにかなり破壊されたとも言えます。私はこれを現代的な美と置き換えます。

他にも私が表現したかったのは、可能な限り空気感を大切にすることです。つまり、パーティーのシーンで風船など空中に浮くもののイメージを入れることによって、逃げているのではなく重力に逆らって浮いているという感覚を常に感じることができると。

そして私はこの感覚が特にジュリエットに近いと思っていました。彼女はその場に留まらずに逃げる術を見つけます。それらさまざまなイメージが重なります。人は常に壁があれば登り、または風船があれば上に飛ばす、といった概念を表現しているのです。

── なるほど。ありがとうございます。ブロードウェイ版『ロミオとジュリエット』の劇場上演にあたって、最も重要なことは何だと思われますか?

ひとつ言っておくべきことは、限りなく多くの「愛」が必要だという事実から逃れることはできないということです。それが重要ですね。半分だけではダメで、すべてを捧げる必要があります。こんなに疑いの余地なく断言できる劇は他にないでしょう。

つまりシェイクスピアの劇には、他にも恋人たちが出てきたり、人が愛し合ったりする作品はもちろん存在します。またはコメディー作品もあります。

でも、2人の人間同士が愛し合い惹かれ合う力をこんなにも強く感じる瞬間というのは『ロミオとジュリエット』にしか存在しないでしょう。この劇を上演する時には、皮肉な考えを完全に排除しなければなりません。

そんな考えは捨てて、ただやるのです。だからどんなに冷めた人間でもこの劇に感動するのかもしれません。

── 他のシェイクスピア作品と比べてブロードウェイ版『ロミオとジュリエット』が特別に感じるのはどういった点でしょうか?

シェイクスピア作品は、どの劇もそれぞれ違って個性的です。心のどこかで同じ作家の作品だとは分かっています。でも雰囲気も風景もまるで違うものが多いですね。

私は『ロミオとジュリエット』は喜劇のように書かれていると思います。ロマンチック・コメディーのように書かれているのです。

シェイクスピアの喜劇の中には、例えば『十二夜』のように途中で少し暗い雰囲気になるものもありますが、『ロミオとジュリエット』に関しては、初めから悲劇として演じることはできません。生き生きとした若者の人生を演じなければならないからです。

まるでロマンチック・コメディーのまま終わるのかと思わせる展開ですが、実際は違うのです。最後の最後に悲劇がやってきます。

でも途中までは…主役の2人の魅力やユーモアを見せることを恐れてはいけません。私はこの劇を作りながら、シェイクスピア喜劇の監督のような気分になっている自分に何度も気付きました。

── 勉強になります。ありがとうございます。

結局は悲劇になってしまうのですが、悲劇であることを意識しすぎないようにしました。

This article is a sponsored article by
''.