カバー画像:演出家 デヴィッド・ルヴォー ⒸShochiku Broadway Cinema
閃光を信じて “矢のような劇” を目指し、シェイクスピアを再構築する
デヴィッド・ルヴォー
1957年 イギリス生まれの演出家。1982年に『日陰者に照る月』にてウエスト・エンド演劇賞を受賞。その後1984年、同作品をブロードウェイでも演出し、トニー賞にノミネート。イギリス演劇界はもちろん、世界中から注目を集める。
さらに『アンナ・クリスティ』では、トニー賞5部門にノミネート。リバイバル作品賞を受賞。 その他も『ザ・リアル・シング』、『NINE』、『屋根の上のヴァイオリン弾き』など話題作を多数手掛ける。
また、日本での活躍も多く、1988年に初来日した『危険な関係』をはじめ、宮沢りえ主演の『昔の日々』や、草彅剛主演の『道』、中谷美紀・井上芳雄主演の『黒蜥蜴』などを演出している。
── 本日はお越しくださいましてありがとうございます。このブロードウェイ版『ロミオとジュリエット』の演出をしたいと思った理由についてお話しいただけますか?
以前、私は英国で1度『ロミオとジュリエット』の演出を務めたことがありますが、そのときには現代的な“若い”劇としての表現ができなかったように感じていました。
そして今回、ここにいるプロデューサー達と共に新しい演出で製作する機会を得ました。そこへオーランド・ブルームが関心を示してくれたので、「いいぞ。ブロードウェイでこういうタイプの話を上演できるめったにない機会がやってきた」と思ったのです。
この物語は本当のところ、すばらしい若者の物語ですよね。主題はとても新鮮です。だから現代のブロードウェイの観客向けに新しい解釈でシェイクスピアを作り直すことができるなんて、まさに心躍るようなチャンスでした。
── なるほど。この舞台の演出をしていて、最も楽しかったことは何ですか?
私の頭の中にはずっと「稲妻」という言葉がありました。人生の中で閃光のようにパッとひらめく瞬間があるでしょう?そういう感覚を常に持っていました。
だから、「火」に基づくイメージを多く作り出すことに成功したのです。それが作品全体を通して重要な部分になりました。本当のところ、このようなアイデアは、本作のジュリエット像から得たものでもあります。ジュリエットが表す…
── 見事なジュリエット像でしたね!とても良かったです。
それから、現代的でありながらも非常にロマンチックだという2つの局面を出すように演出を工夫するだけでもとても楽しかったです。本来はすごくロマンチックな劇ですからね。
残酷な悲劇ではありますが、とてもロマンチックな作品です。昨今はこんなに純粋にロマンチックなものを作るチャンスはあまりないので、それが本当に良かったです。
── この舞台を演出するにあたって、初めから明確なビジョンをお持ちでしたか?
今回の演出では、2回目ということもあり、劇の展開を速めるために多くの場面を削りました。そもそもシェイクスピアの時代には、人々の話す速度は現代に比べて明らかに速かったようです。
だから『ロミオとジュリエット』のような劇では、特に映画やテレビの時代に育った観客は、もう少し早く情報を得たいのです。
だから登場人物の切迫感や焦りを伝えるためには、かなり多くの場面を削って劇を前に進めなければならないと分かっていました。でもそのことが、ある意味とてもエキサイティングな作業になりました。
私たちは「矢のような劇にしないと」と言っていました。前触れもなく突然何かが起こるのです。今回最も気を配ったことは「劇を止めない」ということでした。
オーランドがオートバイに乗って舞台に登場した瞬間から、観客は何か無謀な世界に足を踏み入れたということが分かります。
私が「そうだ!バイク好きのロミオにしよう」と思ってこの設定を決めたのですが、舞台でバイクに乗ることをオーランドに提案した理由の1つは、オーランドがオートバイ好きだと知っていたからです。彼がリラックスできる状況を作りたいと思いました。
例えばジョン・ギールグッドのような往年の俳優をまねる必要はなく、自分らしさを出してほしかったのです。シェイクスピアの劇でもオーランドには彼らしく演じてほしかったからです。
オーランドもそのことに非常に満足していました。これが正解だったと思います。オーランドと観客との自然な結び付きが可能になったからです。
誰もが知っているからこそ、愛も戦いもリアルな表現が必要
── この舞台を演出する上で、最も難しかったことは何でしょうか?
それは、誰もがほとんどの人が『ロミオとジュリエット』の結末を知っていることだと思います。
── 確かにそうですね。
2人は死ぬと分かっています。だからそこに驚きはありません。ではどうやって観客の心をつかむのか?
私が思うのは、2人があまりに鮮やかに生きようとしているので、死ぬと分かっていても観客はショックを受けるということです。生き生きと人生を謳歌しているように見えたのに、次の瞬間に突然死ぬということに心を揺さぶられるのです。
だからこの作品で苦労したことを挙げるとすれば「この劇には莫大な量の“生”の表現が必要だ」ということですね。今回はとても強力な若手のメンバーが集まって、戦うシーンも愛し合うシーンもすべてを楽しんで演じてくれたので、恵まれていました。
そういえば『ロミオとジュリエット』には戦いのシーンが多いのですよ。驚くほどね。
── 確かに多い印象でした。
皆が「これはラブストーリーだ」と思い込んでいるので、戦いのことは忘れがちです。でも実際には、『ヘンリー四世<第1部><第2部>』よりも戦闘シーンが多いんです。
シェイクスピアの他の戦争劇より多くの戦いが行われます。主人公が生きたこの時代は暴力が横行した時代でしたからね。
そういう背景もあって、ここニューヨークで若いキャストと共にこの公演を実現することが大きな意味を持つと感じました。
というのは、今日、成長過程の若者が暴力のイメージに多くさらされているとすれば、彼らが希望を持ち続けるにはどうすればよいのか、という課題に通ずるものがあるからです。どうすれば希望を持てるのか?それを問いかけています。
また、オーランドの特にすばらしいところは、彼が非常に良い人物だというところです。そういう性質はごまかせません。彼のこの性質は、セクシーであったり、二枚目俳優であったりといったロミオの素質を持っていることよりも重要なことだと気づきました。
ロミオ役について人がまず気にするのは外見的なことですが、実際には、俳優が真面目な善人であると観客に伝わることこそが重要なのです。ロミオもジュリエットも基本的には善人ですから。
それが感じられなければ、この劇は成功しません。私はオーランドにこうも言いました。「君は既に二枚目俳優だから、そこは心配しなくてもいい。カッコよく見せることに労力を使う必要はない。それよりも、とにかく愛すること、ひたすら愛することだ。愛に集中してほしい」と。